長寿

こんにちは、地歴公民好きのKGです。現在、KGは「ミニ大通りお散歩まつり」というお祭りのパンフレットの制作を行っています。今年は記念すべき第10回の開催です。9月8日日曜日、たくさんの人に楽しんでいただけるよう頑張って準備を行っておりますので、みんな!!来てね!!!ね!!!!

(某長寿アニメ風に)さーて、今日5月23日、過去に起きた出来事は~?じゃん!

2013年5月23日です。この日、プロスキーヤーで登山家の三浦雄一郎さんが世界最高峰・エベレストに史上最高齢(80歳7カ月)で登頂に成功しました。三浦さんは1932年(昭和7年)生まれの御年86歳!(2019年現在)なんともお元気です。KGは現在20代ですがエベレストには絶対登れないと思うので、80歳になっても登れるというのは、私にとって最早すごすぎて訳がわからないレベルの偉業です。日本は長寿大国と言われていますし、これからは元気なお年寄りがどんどん増えていくんでしょうね。100歳の宇宙飛行士!なんてのも現れるかもしれませんね。(現在の最高齢宇宙飛行士は77歳だそうです。(Wikipediaより))

前ふりが大分長くなってしまいましたが、今日の本番はここから。長寿の人をテーマにお送りします。戦国時代で長生きの人といえば、徳川家康!と思う方も多いと思われますが、KGが参考にしたランキングによりますとそんなに群を抜いた長寿ではない様子。KGは長生きといえば大河ドラマ『真田丸』で有名な真田幸村のお兄さん、真田信之の91歳が最高齢…と思っていた…(まぁ両者ともに十分長生きですが。)

の、ですが、それよりも上の人が存在していたのです。その名は石田重家。なんと100歳まで生きた現代でも通じるご長寿さん。(南光坊天海さんが生年不詳として108歳と紹介されていますがそれは割愛。)この重家さんはあの石田三成の嫡男。わずか10代前半で関ヶ原の戦いが起こり、父・三成が与した西軍が大敗し、重家は仏門に入れられます。ここで西軍の大名の息子なのだから切腹を命じられて当然…、なのですが、家康からも可愛がられていたことや、周囲の人が助命を嘆願したこともあり、重家は許され、父・三成が開いた寿聖院というお寺を継ぎ、1686年に亡くなります。

重家の長生きの秘訣は?と考えてみると、若い内から、お坊さんなので野菜などが中心の食生活を送っていたのかもしれないですね。ですが重家だけではなく、紹介した方々の生涯や来歴を見ると波乱万丈。人生で経験してきたこと、乗り越えてきた難局などが、健康で長生きする強靭な体力や精神を養うのかもしれませんね。

『地歴公民好きっつっても歴のことばっかで他のことに触れてねえじゃんwww』というツッコミが来そうなので少し地や公民のことにも触れて締めたいと思います。日本の中で1番平均寿命が長いのは、男性が滋賀、女性が長野、最下位が男女とも青森という結果になっています。青森がなぜ(比較的)短命なのか?実は青森県民はカップラーメンや炭酸飲料、塩干魚介や酒などで購入額全国1位。結果、BMIが上昇…つまり肥満気味で、糖尿病などで亡くなる人が多い…というのが理由としてあるようです。県立保健大助教・熊谷貴子さんは、『塩辛い食べ物を好むのは、かつて野菜がとれない厳しい冬に少しの漬け物をおかずにご飯を食べていた名残ではないか』と述べています。(https://www.asahi.com/articles/ASL4L55PJL4LULBJ00P.html)その青森は上で触れた石田重家の弟、石田重成が佐和山城落城後に逃げ延びた地と言われています。こんな風にいろいろな知識が思わぬところで繋がるのが地歴公民の面白さなんですよ!ということで無理矢理オチをつけたことにさせて下さい(笑)

長文失礼しました。KGの記事は嫌いでもユニラボブログのことは嫌いにならないで下さい(笑) また遊びに来てくださいね~。KGでした!じゃん けん ぽん!うふふふふふ♪

新時代

こんにちは、地歴公民好きのKGです。昨日2019年4月1日に新元号が「令和」に決定しましたね。今までの元号はいろいろすべて合わせると247個になるそうで、かぶらない名前を調べるだけで大変そうですね。今までで一番長かったのは昭和で64年(Wikipedia調べ)のようなので、令和も同じくらい続くとしたら次の改元を迎える頃、平成1桁生まれのKGはなんと80代~90代になっている計算になります。でもその頃には医療技術がものすごく発達していて、100歳以上生きるのが当たり前になっているSFみたいな世の中になっているかもしれませんね。想像は膨らみます。

さて今日は改元の話題に乗っかった歴史の話題を紹介します。1332年4月2日、鎌倉幕府が、元弘の乱で挙兵した後醍醐天皇の隠岐への流罪を決定しました。その後、光厳天皇が即位し、元号が元弘から正慶に変わりました。絶海の孤島に流刑になった後醍醐天皇ですが、なんと隠岐を脱出し今の鳥取県で挙兵、鎌倉幕府を打倒し、有名な建武の新政を行っていくことになります。しかし、この建武の新政、ご存じの通り武家勢力の離反を招くこととなり、時は南北朝時代に移っていきます。そして実はここに現代の改元に関わることが隠されていました。

冒頭で元号の数が247個という話をしましたが、南北朝に分かれていた時、南朝と北朝はそれぞれ違う元号を使用していました。それを南北朝の元号をすべて含めて数えるか、南朝を正統の朝廷として南朝の元号のみを数えるか、によって数が違っているのだそうです。南朝時代には8個の元号があったそうで、その分だけ、現代では候補が減ってしまったとも言えますね。

その後、時代を経て法律などが変わって現在のようなスタイルや方法が確立されました。歴史はよりよく、より便利に変わっていこうとする、ということなんだなぁと感じます。令和が終わってまた次の元号になる時にも何らかの変化は必ずあると思います。昭和になじみがあった人も平成になじみがあった人も、変わらないものを大事にしつつ、新しい時代・令和をみんなで作っていくことになりますね。

 

この記事を書くにあたり、大体の情報はWikipediaで調べてきました。元号のページに改元の理由なども載っているのですが、その中には少し不思議な原因が記されているものも…。興味のある人は調べてみてください。歴史が好きになったらKGと語り合いましょう。(笑)ではではこの度もお付き合いいただきありがとうございました! 今後とも移行支援ブログをよろしくお願いします! また遊びに来てください! KGでした~。

 

猫の日

お久しぶりです、地歴公民好きのKGです。

昨日2月21日に北海道で地震がありました。事業所の方は無事でした。皆さんもどうぞお気をつけて。

♪猫はこたつで丸くなる♪…ということで、冬の終わりが見えかけてきた今日は猫の日。1987年に制定されたそうです。地歴公民の話題と猫はちょっと結びつかないのでは?と思った方…安心して下さい!今日は戦国時代の猫のお話です。

みなさんも一度は見たことのある『招き猫』。その招き猫発祥伝説の一つに、東京都豪徳寺を発祥の地とする伝説があります。

江戸時代のこと、2017年大河ドラマで有名になった彦根藩・井伊家の2代藩主、井伊直孝が鷹狩りの帰りに豪徳寺の前を通りかかりました。その時、この寺の和尚の飼い猫が寺の門前で手招きするような仕草をしていたので、直孝は休憩をすることに。すると雨が降りはじめました。直孝は雨に降られずに済んだことを喜び、荒れていた豪徳寺を建て直すために多額の寄進をしたといいます。(この時、避けたのが雨ではなく雷だったとする話もあるようです。)その後、この逸話をもとに猫の焼き物が作られるようになり、これが招き猫の始まりだということです。彦根城のゆるキャラひこにゃんもこの逸話がモチーフになっています。

この逸話を聞いた時、「雨が避けられただけなのに多額の寄進って…」と少し驚きましたが、まだ科学的知識や天気予報、現在の様々な便利なモノのなかった時代の話。直孝の家までとっても距離があったとしたら?

直孝「鷹狩りの帰りで疲れてるのにとても歩けない!しかも雨に濡れて帰るのしんどい!道もどろどろだし、雷まで鳴ってんじゃん!さっきの寺で休んでおけばよかったー!!」

となってしまうことも考えられるわけです。そんな事態が回避できたのですから、ありがたがるのも道理、なおかつ直孝の時代がいかにデンジャラスだったかを逆に想起させる逸話だなぁと思いました。

また、現代の私たちは様々な便利なモノがあることに慣れてしまっていて、ありがたみが薄れてきてしまっているのかなとも思いました。科学技術・テクノロジー、社会インフラが整うまでには、歴史とその中に生きた人々のたゆまぬ努力が必ずあって、それが私たちの暮らしを作っていて、私たちはみんな歴史の上に生きている…。歴史や伝承、過去の人々の思いにふれるたび、やっぱり昔の人は偉大だなぁと思えます。やっぱり歴史を知るのは楽しいです。

さてさて、また長々と書いてしまいました…とある方が2万文字までいいよ!って言うから…。私は事業所で主にデザイン関係の業務を行っているので、今回、絵も描いてみました。ではでは、またブログに遊びに来てください!KGでした!!

忠臣蔵

はじめましてKGと申します。

11月に移行支援ユニラボに参加する事となり、このたび、はじめてブログ記事を担当させていただきます。
ちょっと緊張しますね。

テーマは自由とのことなので、私の好きな地歴公民の分野から話題を持ってこようと思います。

今日12月14日は、赤穂事件、いわゆる忠臣蔵で有名な赤穂浪士四十七士が吉良上野介の屋敷に討ち入りをした日です。
当時から相当話題になったそうですが、裁判なんてものはなく、その上、浅野内匠頭は即日切腹という現代では考えられないような速さで進展した事件です。

江戸時代といいますと瓦版や人々の噂話、また政府の記録などで物事が記録されていましたが、100年以上前の事件がこんなに事細かにわかるなんて、電子機器もないのにすごいなぁと感じます。私が歴史を好きなのも、昔のことを知るのが楽しいからなのですが、歴史上の出来事というのは当事者だけでなく、伝える人がいてこそのものなんだなぁ、と思いました。

また、伝える人が赤穂浪士サイドにも吉良サイドにもいることでこの事件の伝わる情報に深みを与えていると思います。この事件はその後歌舞伎や小説などいろいろなものの題材になってきました。実は落語にもなっています。いろんな角度やメディア、見るところや掘り下げる部分がたくさんあるのも、忠臣蔵シリーズが長く愛されるゆえんなのかも知れないですね。

余談ですが私は某缶コーヒーのCMの、ちょっとコメディーな忠臣蔵と、先述の立川志の輔さんの落語、『忠臣ぐらっ』が面白く楽しめるので好きです。

あと、赤穂擁する播州の播州弁は日本一押しの強い方言と呼ばれているそうですね。豆知識でした。

なんかずいぶん長くなってしまったような…。
お付き合いいただき、ありがとうございました。
またブログに遊びに来てください!
KGでした。