新時代

こんにちは、地歴公民好きのKGです。昨日2019年4月1日に新元号が「令和」に決定しましたね。今までの元号はいろいろすべて合わせると247個になるそうで、かぶらない名前を調べるだけで大変そうですね。今までで一番長かったのは昭和で64年(Wikipedia調べ)のようなので、令和も同じくらい続くとしたら次の改元を迎える頃、平成1桁生まれのKGはなんと80代~90代になっている計算になります。でもその頃には医療技術がものすごく発達していて、100歳以上生きるのが当たり前になっているSFみたいな世の中になっているかもしれませんね。想像は膨らみます。

さて今日は改元の話題に乗っかった歴史の話題を紹介します。1332年4月2日、鎌倉幕府が、元弘の乱で挙兵した後醍醐天皇の隠岐への流罪を決定しました。その後、光厳天皇が即位し、元号が元弘から正慶に変わりました。絶海の孤島に流刑になった後醍醐天皇ですが、なんと隠岐を脱出し今の鳥取県で挙兵、鎌倉幕府を打倒し、有名な建武の新政を行っていくことになります。しかし、この建武の新政、ご存じの通り武家勢力の離反を招くこととなり、時は南北朝時代に移っていきます。そして実はここに現代の改元に関わることが隠されていました。

冒頭で元号の数が247個という話をしましたが、南北朝に分かれていた時、南朝と北朝はそれぞれ違う元号を使用していました。それを南北朝の元号をすべて含めて数えるか、南朝を正統の朝廷として南朝の元号のみを数えるか、によって数が違っているのだそうです。南朝時代には8個の元号があったそうで、その分だけ、現代では候補が減ってしまったとも言えますね。

その後、時代を経て法律などが変わって現在のようなスタイルや方法が確立されました。歴史はよりよく、より便利に変わっていこうとする、ということなんだなぁと感じます。令和が終わってまた次の元号になる時にも何らかの変化は必ずあると思います。昭和になじみがあった人も平成になじみがあった人も、変わらないものを大事にしつつ、新しい時代・令和をみんなで作っていくことになりますね。

 

この記事を書くにあたり、大体の情報はWikipediaで調べてきました。元号のページに改元の理由なども載っているのですが、その中には少し不思議な原因が記されているものも…。興味のある人は調べてみてください。歴史が好きになったらKGと語り合いましょう。(笑)ではではこの度もお付き合いいただきありがとうございました! 今後とも移行支援ブログをよろしくお願いします! また遊びに来てください! KGでした~。